左官の歴史・起源について

左官工事の起源は、人々が竪穴式住で暮らしていた縄文時代にまでさかのぼります。

当時、壁の材料である土は最も手に入れやすい素材で、その土を生のまま団子状に丸めて積み上げていき土塀を作ったのが左官工事の始まりです。

その後、飛鳥時代には石灰を使って壁を白く塗る仕上げ技術や細く割った木で壁の芯を作る技術などが開発された事によって左官工事はますます発展しました。

安土・桃山時代になると茶室の建築に色土が用いられ、土の色をコントロールするだけでなく、砂や繊維を混ぜることで様々な表現が可能になりました。

江戸時代には漆喰で壁全体を覆ってしまう漆喰仕上げが開発され、建物の耐火性を飛躍的に向上させ、またデザイン的にも非常に美しいものになりました。

その後、商人の土蔵や町家へと普及していき、漆喰彫刻というレリーフ状の装飾的施工も行われるようになりました。

この点で左官技術は芸術性においても大きな発展を遂げ、文明開化後の洋風建築の装飾にも柔軟に対応しました。

そして現在でも左官技術は新しい素材、新しい工法を取り入れながら建築の様々なシーンで活躍しています。


 

 

左官の語源及び由来等

世の中にある様々な建築業種の中で主に大工・タイル・ペンキ屋等様々な職種が
ありますが、その中で壁などを塗る職人いわゆる左官職人は何故左官と言うようになったか?
どうも「左官」と言う名称だけででは、何をやっているのかいまいちイメージが掴みにくく困惑してしまう
一般の方もいるようです。
では何故、壁を塗る職人は左官と呼ぶようになったのか?それには幾つかの様々な説がありますが
基本的に3つの説fがあるとつたえられています。

1. 官職をつけた言う説

その昔、官邸に入場するには位が必要だった為、
「左官」と言う官職をつけた言う説

2. 壁塗りを「左官」とする説

昔の建築では、骨組みを作る大工と下地の段階で化粧をしていく左官と言う職種の重要度
が非常に高く昔は大工の事を、「右官」とよばれていた説もありそれに対して壁を塗る職人を「左官」
とよばれていたと言われこの呼び名が残ったと言う説が残っているようですが
ただし、大工が「右官」と呼ばれていた文献等は全くなくこの節はあくまでも俗説の一つとも
言われているので定かではありません。

3. 「木工寮(もくりょう)」の階級からとったと言う説

平安時代から宮殿等の建築に携わる組織で「木工寮(もくりょう)」と言う組織があり現在でも律令制において宮内省に属する機関でもあります。
木工寮(もくりょう)は主に宮廷の建築・土木・修理を一手にひきうけています、具体的には宮殿の建築・修理、京内の公共施設の修理、木製品の製作などですが、木工寮(もくりょう)には階級がありそれぞれに
1「守(かみ)=大工」
2「介(すけ)=桧皮葺き大工」
3「壤(じょう)=金物大工
4「属(そうかん)=壁塗り職人」
とこの様な階級があり
このことから壁塗り職人である「属」に「さかん」と言う音をあて
後に当て字で「さかん=左官」になった言う説が残っており

現代では、この説が最も有力な説だと言われております。
※ ちなみに左官と言う字が定着したのは、元禄時代以降と言われております。

 

※左官の語源及び由来等にかんして参考にさせていただきました。
参考文献